北穂からの眺めをしばし楽しんだあと、奥穂へ向けて出発。北穂から見る奥穂への道もなかなか岩だらけだ。まずは少し下り、涸沢と奥穂へ分かれる分岐を奥穂方面へ。 急な坂道を登ったら険しい下りの開始。はっきり言って奥穂への稜線をなめていた伸二郎はちょっと不安になる。しかし、「いままでの行程もなんとかなったし、あと少しだしなんとかなるでしょ」とブンブカ進む。 |
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北穂高岳から熱心に写真を撮るカメラマン。何を写してるんだ? | 北穂高岳は3つのピークからなる。最高峰はこの北峰。真ん中に見えてるのは中央峰、右が南峰。どれも急峻。 |
北穂から奥穂へはこの分岐を奥穂方面へ。 | 奥穂への稜線は余裕と思いきや、大キレットに負けないくらいキツイ。予想外だ。 |
相変わらず岩場はキツク、一部の鎖場は足をかけるところが無く、キレットよりも苦労した。しかし、景色は素晴しく、特に槍ヶ岳方面の景色はバツグンに良い。良い気で写真を撮っていると、カメラの電池マークがついてきた。寒いところでは電池持ち悪いなー。 |
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相変わらず厳しい岩場を進みながらも景色を楽しむ。槍はどこから見ても素敵だ。 | |
北穂からの下りも終わりに近づく。目の前には涸沢岳の絶壁。あんなところがまだあるなんてかなり想定外だ。なんちゅーか、第二のキレットって感じだ。 ちょっと気持ちも疲れてきたその時、順調に進んできた右ヒザに激痛が走る。 「ぬぉー、やっべえ」。 少し立ち止まり、再び歩き出そうとすると、再び激痛が走る。 「こりゃホントにやべえな」。 目の前には涸沢岳への急な岩壁。 「あれを登ったらヒザが壊れちまうかも」。 キングオブネガティブを自認する伸二郎は急速に不安を強める。時刻は16時。時間の猶予も余り無い。 周りを見ると、涸沢側は岩がゴロゴロしているが、降りれそうな気がする。少し下ったところで登山道らしき道もあるように感じる。(実際にはそんなものあるはず無く、平常心を忘れた者にはそう見えたに過ぎなかった。) 「岩がゴロゴロしているが、岩壁じゃねぇ。ストックも使えてヒザには良いだろう。行くしかねぇ」。 もう、他に選択肢は見えなかった。5分程休憩した後、リポDを飲み、軽量化の為に水を捨てて、コース外へレッツゴー。 |
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後はこの涸沢岳への岩場を登れば奥穂というところだったのに。 | パニクった?伸二郎はこのコース外のガレ場を涸沢に突き進む。いつ落石にあうかも分からんかったな。 |
緩いように見えていたガレ場は結構傾斜が有り、足場は不安定で滑りまくる。自分の起こした岩の流れで落石が起きないかとビビリながら、それでも下へ、下へ、遥か遠くの涸沢へと下っていく。 不思議とヒザの痛みは減っていた。 「これなら涸沢の岩壁もなんとかなったかな」。少し後悔の気持ちがわき起きるが、今更どうしようも無い。 奥穂から涸沢へ伸びるザイテングラードに合流した時、既に日が暮れていた。本来のコースに対し、2倍もの時間がかかってしまったが無事に下れた安堵感でいっぱいだった。 「いや、生きてるって素晴しいな」 弱気な自分の素直な気持ちだった。 涸沢ヒュッテに着いたのは暗くなった19時。テントを張り、飯を食うと悔しさが込み上げて来た。ちょっと無理なプランを組んだ自分へ、休憩して涸沢岳を超えようと思えなかった自分へ。いままでの登山の中でこんなに悔しいのは初めてだ。 |
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ガレ場はひたすら長く、涸沢は果てしなく遠く感じた。足元の岩は何度も崩れ、コケそうになった。 | 涸沢のテン場に着いたのは19時だった。何はともあれ、無事にたどり着くことができて良かった。 |
翌日、横殴りの雨の中、上高地へ下山。昨晩涸沢ヒュッテで買った湿布を寝てる間中貼っていたおかげか、ヒザは快調だ。 13時。無事に上高地に着き、バスに乗る。新穂高に帰り、バイクで自宅へ。今シーズン初の撃沈登山は終了した。 今回の失敗で登山者として当然なことをちょっと理解した。 やっぱ、 ・無理な計画はいかんな。 ・コース外はいかんな。 ・体に不安を抱えての無理はいかんな。 ・一人登山は危険だ→これはやめられんな(苦笑) 10/9(火)、医者に行ってヒザの状態を見たが、特に骨に異常も無く、水も溜まって無かった。どうやら、疲労により痛みが出るみたいだ。やれやれ、俺も歳だな。サポーターを買って来なくちゃな。。。 今回の登山では撃沈したが、借りは必ず返す。来年、サポーターと湿布を持って北穂から奥穂への稜線を踏破してやる。むぁってろよ穂高連峰!!! |
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